映画『鬼に訊け』

映画『鬼に訊け』宮大工西岡常一の遺言を観てきました。
千葉県では唯一千葉市街の映画館のみの上映となっており上映期間も10日〜16日までという短さ。
忙しい合間ではあるが、何とか仕事の都合をつけ職人達と一緒に観に行けたらと先週から考えていた。

内容はビデオと重なる部分が多かったが、ご子息とかつての弟子らのインタビューなどは目新しかった。
また、二度に亘り戦下をくぐり抜け生還した西岡棟梁は聖徳太子より法隆寺の再建、復元を託された宮大工だったのではないだろうかと思いを馳せながら観ていました。

以下は私の西岡棟梁との出会いを記しました。
長文となりましたが、読んでいただければ幸いです。                                                                                                                                                                                           西岡棟梁を偲んで************************************************************************
私が西岡棟梁を知るきっかけとなったのは仕事中に車を走らせながら聞いたNHKのラジオ番組であった。その番組で西岡棟梁は五重の塔について話していた。
一般住宅では扱う事のない桁外れな大きく太い用材とスケールの大きさ、屋根の曲線美や反り、力強くも凛とした佇まい。いつしか寺を建てる事ができたらと考える様になっていたのでこのラジオ番組が私には楽しく興味深いものとなりました。

その後、西岡常一著『木に学べ』を読み、28歳の頃だったと記憶しているが仕事の合間をみて奈良・薬師寺へと足を運んだ。
薬師寺境内へと入ると大きな作業所があった。当時、中では阿吽像の復元をしており70歳くらいの仏師である職人が快く招き入れてくれた。
一通り復元作業の説明をしてくれた後、「なんできいはった?」と尋ねられ、私は「西岡棟梁の本を読んで、自分も大工の端くれとなったので職人としての目で色々と見たくなった。」と答えた。
「西岡だったらここにおるで。会っていったらええ。」と言うのだ。「但し、私に教わって来たとは言わず、自ら訪ねて来たと話す様に」と。
教えてもらった場所へと向かった。
そこは2階建てプレハブの事務所であった。事務所前にはエンジンをかけたままのハイヤーが1台、客を待っている様子であった。
私は2階への階段を上り、自らを名乗り西岡棟梁を訪ねて来たと話した。応対してくれた男性には「棟梁は食事中ですので・・・」とやんわりと断られたのだが、その直後「ええで!こっちきいや!」と奥の方から声が聞こえてきた。その声が正しく『西岡棟梁』であったのだった。
事務所内へ通され、西岡棟梁を目の前に「食事中にすいません。」と非礼を謝った。すると西岡棟梁は「飯が済んだら次へ行くさかい、飯食ってる時に話さんかったら時間がないで。」と言ってくれた。すぐさまあのハイヤーは西岡棟梁を待っているのだとわかった。
話した時間はわずか15分程であったが、建物はその土地の風土や気候に合ったもの作らなくてはいけないと話していたのが忘れられない。決してかざる事のない素朴な人柄に更なる偉大さと優しさを感じた。

翌朝、宿泊先で手に取った新聞を開くと西岡棟梁の記事が一面を占めていた。「雲の上のような存在、偉い人に会ってしまった。」と改めて実感する事となったが、一方ではつい昨日の出来事であったが未だ夢見心地であったのを憶えている。
昼飯の時間に訪ねるとは非礼ではあったがあのタイミングでなければ西岡棟梁には出会えずに今を過ごしていたのではないだろうかと振り返る。

縁あって私が初めて寺を手掛ける事となったのは、西岡棟梁と出会って7年後の事となる。

数年後再び、京都・奈良へと足を運んだ。私はかねてから心の中で決めていた事があった。
まず向かった先は斑鳩町にある法隆寺。寺のそばの土産物屋の店主が「いつも頭にてぬぐいを巻き、帳面とさしがねを持ってこの道を歩く姿が忘れられない」と西岡棟梁の思い出話をしてくれた。
その後、法輪寺をまわり「いつの日か・・・」という思いで心に決めていた西岡棟梁の眠る墓に向かいあの時の礼を言いそっと手を合わせた。

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